どれくらいぶりだろうか。将は聡の部屋の、聡のベッドの上で、パジャマ姿の聡を抱きしめて横たわっている。
「アキラ、本当に、ゼリーだけで大丈夫?お腹すかない」
「うん……」
答える声は、いつになく弱弱しい。
すでにスタンドも消しているせいで、その顔色は見えないが、きっと青白いに違いない……それがたやすく想像できる声だ。
せっかく将が買ってきたお弁当だが、聡はほとんど吐いてしまった。
かわりに常備していた携帯ゼリーを半分だけ口に入れて
「もういい」
と聡はその残りをテーブルの上に置いてしまった。
それは『食べないと、お腹の子どもが……』と喉まで出かかったセリフをひっこめるのに充分なほどの顔色の悪さだった。
幸い明日も学校だったので、聡が心配な将は、今日はここに泊まる、と宣言した。
聡は、明日ここから学校に行くのはマズい、と眉根を寄せたが、
『明け方にタクシーを頼んで一回マンションに帰るから』といって将は頑としてここに泊まると言い張った。
二人を包むのは、同棲していた頃と同じ、暗くならない東京の夜だ。
しかし、しん、と冷えて銀色がかった1月頃に比べると、9月の今は濃紺の羽のような薄闇がシングルベッドの上で抱き合う二人をそっと包んでいる。
将が抱きしめている聡の体は、まだ細く華奢だ。
だけど……この体の中に、自分の子供が確かに息づいている。
溶け合って1つになることさえ望んだ、あの夜の……まさしく愛の結晶が、聡の中に……。
深い感動を覚えた将は、聡の肩を抱き寄せた。
「将……。ほんとうにごめんね」
聡がまだ、将の胸のあたりに呟いている。
「あたしが……ちゃんとしてれば」
「あきら」
将は優しく、聡の懺悔を遮った。
「俺、嬉しいんだぜ」
濃紺の中に浮かぶ、聡の顔を将は見つめた。暗さに慣れた将の目は、いとしい聡の顔をはっきりと捉えた。
「アキラが、俺の子供を産んでくれるなんて」
「将……」
聡の瞳がうるむ気配があった。暗がりでもそれはわかった。
いつか、古典か何かで見た気がする。子供が出来るのは前世からの縁だと……将はそれを信じたい気になっている。
そしてそれは前世よりも、むしろ未来へとつながる聡との絆でもあった。
「ねえ、アキラ」
将は上半身を少し起こすと、聡を上から見下ろした。
「おなか、触らせて」
返事が聞こえる前に将は、聡を仰向けにしてそっとパジャマに覆われた下腹部に手を置いた。
「ここに、いるんだ。二人の子供が」
将は暗がりの中で、感慨深げに呟いた。
それは、まだまったく平坦で、贅肉すらないようだった。
その平坦な聡の下腹部に将は頭を載せた。
子供がいるあたりに耳を押し付けているようだ。
「もう……心臓とかできてるのかな。このドキドキしてるのってそうかな」
暗い気分だった聡は少しだけ可笑しくなった。
「違うと思う」
まだ子供は1センチぐらいのはずだ。早い場合は心音が確認できるというが聡はまだそれを感じていない。
「じゃ、アキラのかぁ。……おーい。お父さんだよー」
おどけてお腹に呼びかける将に、聡はほんの少しだが……救われた。
本当に迷惑じゃないんだろうか、負担に思っていないんだろうか、と聡は無邪気な将を見つめた。
聡にとってでさえ、予期せぬ妊娠だ。とまどい、苦しみ、ひたすら自分の体をを責めるばかりで、
とてもじゃないけれど将の子供を『授かった』などとは思えないでいるというのに……。
こうやって、お腹に呼びかけたり、なぜたりしている将は、本当に嬉しそうだった。
「名前、考えなきゃなー」
将は再び隣に横たわると、聡の肩を抱き寄せた。
「もう、受精したときに性別って決まってるんだよな。どっちかな……アキラに似た女の子がいいな」
将があまりにも、楽しげに希望を紡ぐので、聡は思わず口を挟む。
「だけど、わかるのはもっと先よ」
先、と口に出しながら、性別がわかるほどの未来まで、この子を無事にお腹の中で育てられるのだろうか聡にはかいもくわからなかった。
聡の一寸先は文字通り闇だった。
ただ将の、無邪気で一途な愛情に包まれて漂っている。
その行きつく先はまるで想像できないまま、聡は今はただ将のぬくもりを感じていた。