木曜日。将は早朝からテレビ局に入っていた。
「おはようございます」
「おはよう」
にこやかに手をあげて、廊下ですれ違ったのは、将にとってはすっかりおなじみの、出演しているドラマの主演俳優だ。
――この挨拶が、しっくり来る時間帯に局入りしている理由。
それは今日がまさに、9月から撮っていた元倉亮脚本のドラマ「あした、雪の丘で」の初回放送日だからだ。
年があけて……受験生にも関わらず……将はいくつか宣伝のための番組に出演している。
初回放送日の今日は、朝のワイドショーと、昼のバラエティ、午後の特別番組の3本の生番組で忙しさもきわまれり、といったところだ。
主演のベテラン俳優で中高年層、将で女性の視聴率を稼ぐべく、二人セットで出演することも多い。
それだけに、テレビ局がいかにこの新ドラマに力を入れているかがわかる。
特に、裏の局は人気漫画原作のドラマを豪華キャストでぶつけてきている。
将に掛けられた期待と責任も、今までの仕事とは比較にならないほどのものだということは言われなくても理解できた。
しかし、今日……将がやや緊張しているのは、それが原因ではない。
今日、自宅を出るときすでに、将は芸能レポーターに囲まれた。
「○○谷さんとはどういう関係ですか!」
「その後、進展してるんですか!」
一切の質問を無視して……武藤ともう一人若手のマネージャーにかばわれるようにして、将は車上の人になった。
「将、今日は、番組中でも○○谷さんとの関係を訊かれると思うわ。……わかってると思うけど、いい先輩です、くらいに答えるのよ」
その内容は、台本にはないものの……機転を利かせた司会者がアドリブで訊いてくることは十分に想定しうることだと武藤は言うのだ。
事務所には、武藤を通じて記事の説明はしてある。
○○谷詩織とのあの写真は、あの大雪の日、どうしても東京に帰りたいということで、一緒に行動しただけに過ぎないと。
「あまりに軽率すぎる」と形式上注意を受けたものの、それ以上は特に咎められなかった。
相手が中高年にも好感度の高い詩織だったため、そこまでイメージダウンにならないことと……それもある。
しかし一番の理由は、共演する二人の噂は、ドラマを世間に注目させる格好の材料だからである。
ドラマの視聴率があがれば、将はもちろん、脇にねじ込んだ若手の将来にも繋がる。
事務所のそんな勘定ゆえ、将のスキャンダルはむしろ歓迎されているかのようだったのだ。
朝のワイドショーは武藤の予言どおりの展開になった。
最初は無難に、北海道ロケの長さが話題にのぼり、そこからスタッフ・共演の仲のよさに移ったところで、司会者は将に質問をふった。
「将さんといえば、共演の○○谷詩織さんと今うわさになってるけど、本当はどうなの? 熱愛の一夜、だっけ? やっぱり仲がいいの?」
笑いを誘いながらの質問は司会者の力量か、ごく軽いものになっていた。
「仲は悪くないと思いますけど……そんな、恐れ多いっス。たまたま飛行機が飛ばなかったから一緒に行動しただけで」
とはいえ、聡が見ているかもしれない、と思うと将はつい、事情の説明を交えて弁解したくなる。
そこで、主演のベテラン俳優が、笑いながら割ってはいる。
「いや、二人はねー。本当に息がぴったりでねー。よくケンカしてるよ」
それで将は我に返った。
自分の話題は今回は単なるアドリブの一環なのであり、本題はあくまでもドラマについてだ。あまり時間をかけるわけにはいかないのだ。
「ケンカですかぁ?」
若い女子アナが、目を丸くするふうをする。
「はい。ケンカばっかりしてる役なんです。二人は……」
ようやく、本来の台本の内容である、二人の役柄説明に戻ることができて、将はほっとした。
「将!」
出番が終わって控え室へ戻る途中、将は廊下で呼びかけられた。
振り返った将は、そこにアイドルの四之宮敦也が立っているのを見つけた。
『ばくせん』での共演以来、4ヶ月ぶりに見る四之宮は、髪が金髪から黒く変わり、やや短くなっている。
「四之宮さん!どうしたんですか」
「どうしたって……」
四之宮は苦笑した。今日、将がゲスト出演する昼のバラエティのレギュラーに、四之宮は1月から昇格していたのだ。
「すっげえ。『よいとも』のレギュラーなんて」
「事務所の力だよ」
と薄い唇で笑うその顔は、あいかわらずクールな美形だ。
「……で、将は受験勉強、進んでんの? て、受験生なのに、おさかんだよな。○○谷さんとラブラブなんだって?」
四之宮は冗談めかしてニヤリと口角をあげた。
「もー、違いますよー。カンベンしてくださいよ」
将は、悲鳴をあげるようにすると、机につっぷした。
待ち時間の間、二人は四之宮の控え室でコーヒーを飲んでいるのだ。
「わーかってるよ。単なる話題づくりだってことは、みんな知ってるし」
四之宮はそんな将の背中をポンポンと叩いた。
芸能生活が長い四之宮、それくらいのことは承知なのだ。
「それよりさ、ちゃんと彼女には説明したの?」
将はつっぷしたまま、目をあけた。
四之宮が言っている彼女とは、おそらく、週刊誌から……みな子のことを指しているのだろう。
だけど、将は聡を思い浮かべる。
この2日間、きちんと説明できていない……それどころか電話もとってくれない聡。
聡とそのお腹の子が無事だったことは、昨日に見舞いに行った純代が教えてくれた。
日頃から純代は、クラスの保護者有志ということで、聡を手助けしている。
昨日も、真田由紀子の母親と一緒に『お世話』にいった体裁を取っているから、問題ないのである。
「胎盤が少しずれているけど、自然分娩ができる程度で、問題がないそうよ」
ほっとした将だったが、もう一つの問題……聡が、将のスキャンダル記事を目にしたかどうかまでは確認できなかった。
さすがに、そこまで、純代を通じて確認するわけにはいかない。
将は、直接会えないまでも、せめて自分の口で弁解したい、と聡の携帯に何度か電話をした。
しかし、聡は出なかった。
病院にいるから出られないのか……いや違うだろう。将にはわかる。
聡は……おそらく、週刊誌の記事を見てしまったのだ。
それで、電話に出ないのだろう。
将は、頭を抱えた。聡のことが気になって、勉強どころではない。
空いた時間にせめて参考書を開くものの、いつのまにか気持ちは聡のところへ飛んでいってしまう。
だけど、将は……心配で気もそぞろになりながらも、それを必死で抑える。
>頑張って。
聡からの、たった一言のメールゆえに。……それが将のすべてだった。
それは……聡がまだ将を見限ったわけではない証であるに違いない、と将はすがった。
記事を見て、きっと怒っている聡。
だけど頑張れというからには、頑張った先にある……東大現役合格、そして結婚を望んでくれているのだろう。
とりあえずは、今週末のセンター試験でよい結果を残すことが、聡への愛の証明になってくれるはず。
将はそう思って、芸能活動の合間の少ない時間を勉強に費やすしかなかった。
聡は、食い入るようにテレビを見ていた。
10時開始のドラマには……夏の北海道の風景とともに4ヶ月前の将が映っている。
ほのぼのとした……地味に笑いを誘うはずの脚本なのに、いつしか、聡は涙を流していた。
……将は、役者として成長した。
それははっきりとわかった。
ベテラン勢に囲まれているせいなのか、『ばくせん』のときとまったく違う将がそこにいた。
作られたアイドル役者には留まらない……将が背負った哀しみや寂しさが、役柄に深みを与えているのは明確だった。
これも、将の才能の1つ……いや、将ならではの才能なのだろう。
将の新たな才能をまのあたりにして、嬉しいはずなのに、聡は涙がとまらなかった。
嬉し涙ではない。その逆……将の才能は、聡にあることを決意することを、さらに促すことになった。
そのつらさに、聡は涙を流しているのだ。
だけど、決意しなくてはならない。
お腹の子供は、聡の感情に呼応するかのように、ぐるり、ぐるりと身体を動かしている。