それから将が渡米できたのは、翌年あけの春だった。
リハビリで体をほぼ元の状態に戻すのにそれだけの時間が必要だったのもある。
それから年明けには、入学手続きをしたまま休学扱いになっていたK大の後期の期末試験も、形だけでも受けなくてはならなかった。
本当は将には大学なんてどうでもよかったが、聡のことを考えると……聡に少しでもしっかりとした自分を見てほしいと考えると学業も最低限はやらなくてはならなかった。
そして1年でとらなければならない最低限の単位をなんとかとった将は、春休みにボストンへと旅立った。
――ここが聡の家。
タクシーを降りた将は、芝生の向こうにある青い屋根の家を見据えた。
聡と博史が暮らす家の住所は、事前に調べていた。
聡の友人の美智子が夏にさっそくボストンを訪れていたから、簡単にわかった。
並木道ぞいに、芝生の庭を持つ戸建ての家が立ち並ぶ、落ち着いた住宅街に聡の家はあった。
玄関わきに白い手すりを備えたテラスがある気持ちのよさそうな家だった。
芝生の中に桜によく似た木が白っぽい花をつけている。あんずかさくらんぼだろうか。
やっと聡に会えるというのに、この家の前に立つと怖さが先に立った。
いや、ここにたどりつく前から……将は少しずつ怖さを感じずにはいられなかった。
出発時こそ希望に高揚しながら飛び立った将だったが、聡のいる場所へ近づくにつれてだんだんと胸が苦しくなってくるようだった。
それは見たくないものが待っているという予感なのかもしれない、ということを将は自覚している。
だが、それでもやはり会いたい。思い切ってチャイムを鳴らそうとして……将は手を止めた。
代わりに中の様子をうかがってみる。
……人の気配がしない。風が吹いて白っぽい花びらがひらひらと静かに舞うだけだ。
どうやら留守のようだった。
将はなぜかほっとした。
ボストンコモンは桜が見ごろを迎え、市民たちがそこここでピクニックを楽しんでいた。
出直すことにした将はホテルがあるダウンタウンに戻ってきて、暇つぶしにボストン一古いといわれるこの公園へやってきたのだ。
スタバのコーヒーを片手に、ベンチに座る。
芽吹き始めた木々と桜のコントラストの向こうに美しいボストンの街並みが日差しに輝いている。
だけどこんな美しい景色の中にいながら将の心は沈んでいくようだった。
これからどうするのか。
芝生の上でベビーカーに乗った小さな子供をあやす若夫婦が目に入る。
聡は……博史と結婚して、もう1年近くたつのだ。
将の脳裏に、さっきの白いテラスで青い屋根の家が思い出される。
あの気持ちよさそうな家で、聡はもしかして、幸せに暮らしているのだろうか。
自分のことはすっかり過去になってしまっているのだろうか。
冷めたコーヒーを飲みほした将は、所在なくて再び午後の公園内をぶらぶら歩き始めた。
と。たんぽぽの綿毛がいくつか前を横切った。
綿毛は、木漏れ日を受けてきらめきながら舞い上がっていった。
「たあた」
「ふーってふくんだよ。ふー」
そよ風と葉擦れの向こうに、かすかに日本語を聞き取った将は、再び綿毛が飛んできた方を振り返った。
……そして立ち尽くした。
それは、芝生に座ったみどり子と一緒にいる博史だった。