第419話 最終章・また春が来る(27)

「そういえば、父が何度かお伺いしたと、陽さんに聞きましたが」

「ええ。……たしか、ボストンに住んで3年目だったかしら。急に訪ねてこられたのでびっくりしました」

将の問いかけに、答える落ち着いた低めの声。

聡の声は若い頃から低めだったから、ほとんどあのころと変わっていない気がする。

そして、それは目を閉じれば――二人が離れていた25年など、なかったような錯覚に将を迷いこませる。

 
 

康三が聡の元を突然訪れたのは、陽が生まれて3年目の春だった。

「ボストンの桜も、大変美しいと聞きまして立ち寄りました」

ここに来た理由をそのように説明した康三を見て、以前……卒業式の日に会食した時よりひどく痩せたと聡は思った。

康三は――将が刺された年の9月に、見事与党の総裁選で圧勝し、それまでで最も若い総理大臣となった。

だが、その若さがわざわいしてか、与党の古株と、与党にがっちりと絡みついた官僚らに足を阻まれて思うような政治ができなかった。

そのまま、病を得てしまい、わずか1年で政権を放棄した。

幸い病気は治ったものの、政権を放棄したことを恥じて国政から一時退いていた――ボストンを訪れたのはちょうどそんなときだったのだ。

「おかあさん、えほんは?」

絵本を中断した聡に焦れてリビングに顔を出した陽はだったが、ソファに座っている知らないおじさんを見つけると、本能的に聡にすがりついた。

「陽ちゃんですか? こんにちは」

康三はすぐにそれが陽だとわかったのか、優しげな声とともに頭を下げて見せた。

陽はすがりついた聡のぬくもりを確かめた上で、

「……こんにちは」

と康三に挨拶を返した。

そして聡へと目をあげる。誰、と問うている陽の小さな瞳に、聡は何と答えていいか迷った。

それを察した康三が

「お母さんの知り合いで、たかえだ、といいます。今日はね、陽ちゃんにお誕生プレゼントを持って来たんだよ」

と助け船を出してくれた。

 
 

「陽ちゃん、大きくなりましたね」

康三は目を細めた。その陽は、康三がくれたクマのぬいぐるみをすっかり気に入って、それを持って隣のリズおばあちゃんのところへ遊びに行った。

隣人の話し上手なリズおばあちゃんは老後の生きがいと趣味の足しにと、近所の小さな子供たちを預かってくれていて、みんなに感謝されている。

「おかげさまで……」

聡は常套句で答えながらも、ある意味、その言葉通りであることをわかっている。

博史が社会人留学している今、聡の家庭は、康三のひそかな援助で成り立っているのだ。

しかもそれはかなり裕福な暮らしができる金額だった。

とはいえ、聡と博史が暮らすこの家の調度や家具などはこざっぱりとしていた。

聡が身に付けているものも、特に贅沢でもない。

「この9月からは、幼稚園にあがるんです」

聡は、何を話すか考えあぐねて、陽の話題を続けた。

「幼稚園って、アメリカの?」
「はい」

「……そうですか」

康三が遠い目になった理由を……聡は知っている。

おそらく、幼い頃の将と重ねあわせているのだろう。

将はたしか1歳からパリにわたり、実母の考えで地元の幼稚園に通っていたはずだ。

その実母の考えが聡にはなんとなく理解できる。

外国語ができるようになる、とかそういう目先の理由ではない。

せっかく日本以外の地にいるのだから、せまい日本人社会を往復させるよりは、多少言葉が不自由でも広い世界になじんだほうがいい――おそらくそんな考えだったのだろう。

「……で、聡さんは、日本人学校の先生を?」
「いえ、何もしてません」
「え?」

けげんな顔をした康三に、聡はあわてて言い添える。

「2年前に紹介状はいただきました。ですが……辞退させていただきました」

康三は顔に手をあてると、

「なんてことだ……」

とつぶやき、ソファの脇息に寄りかかった。

「あ、いえ……どうしても仕事に困ってる日本の方にお譲りしたんです。うちはお金には……おかげさまで困っていませんから」

それはたまたま、博史と同じ大学で研究する日本人仲間の妻だった。

援助を受けている博史と違って、自費の留学だった彼は生活も大変だったのだ。

博史の子供を作らなくてはならない聡だから、どうせ仕事に就いてもすぐに放り出さなくてはならないかもしれない、とも思っていた。

でもそれは誤算で、この2年、聡に博史の子供ができる兆候はまったくなかった……。

康三は聡に向きなおった。

「いいですか。私は、あなたの家計を援助するために紹介状を書いたわけじゃありません」

「海外で教育を受ける日本人だからこそ……あなたのユニークな教育方法が必要だと思ったんです、私は」

私は、教育者としてのあなたを買っているんだ、と康三は力強く言った。

「そんな……」

聡は絶句した。

教え子である自分の息子と関係して、子供まで産んだ教師にそんなことを……。

しかし、康三はそんなことはすっかり忘れたように繰り返した。

「私が任期中に為し得た、数少ない政策が教育なんです。

その中で私は小学校4年生から職業研究という新教科を作りました。

世の中にどんな仕事があって、それはどうすればなれるのか。どんな生活を送るのか。

どんな喜びがあってどんな苦しみがあるのか。

いくら儲かって何歳くらいまで現役でいられるのか……そういうことを高校3年までかけてじっくり勉強するようにしたのです」

それは、かつて聡が新江高校で試行錯誤したこととそっくりだった。

「結果の平等でなく、機会の平等などと私どもの与党でも声高に言われます。

ですが、先生がおっしゃっていた

『今の子供は……よほど恵まれていない限り、どんな機会があるかということすら知らない』

という言葉が私の心に残っていました」

それは、あの卒業式の日、レストランで……『本題』に入る前に話したことだった。

いわれて聡も思い出した。

その考えは、誰より自分が感じていたから。

聡自身が、大学を卒業するまで……漫然と勉強していたから。

恋におぼれていたから、というのもあったが、何をして食っていくのか、ということをたいして考えないまま、聡は大人になった。

教職を選んだのは、身近にいた教師の親に影響されたのもあるが、一番は受かった大学が教育系だったからなのだ。

「しかし、実際に社会で働いたことのない教師ばかりの中で、その新教科はまだまだ試行錯誤の段階です……」

康三はいま一度、聡の顔を見た。

「先生、日本を遠く離れたこの町ではありますが、子供たちにそれぞれの『機会』を見つける手伝いをしていただけませんか」