聡のボストンでの結婚生活はしばらくは穏やかだった。
未熟児で生まれた陽も健やかに育ち、夫の博史は優しかった。
萩の母親は産気づいた連絡を受けて急いで駆けつけてくれた。
あいにくお産には間に合わなかったが、5月の連休まで滞在して、聡親子の世話をなにかとやいてくれた。
その母親も
「博史さんは本当に優しいねえ。おまえは本当にいい人と結婚したね」
としきりに感心していた。
母親は――言葉にしないだけで、陽が博史の子でないことを知っているはずだった。
母親のいうとおり、博史は本当の父親でもないのに、かいがいしく家のことや陽の世話をやってくれた。
聡の負担が少ないように、オムツ替えから入浴までやってくれている博史に、聡は罪悪感を感じた。
そしてどういうつもりだろう、と少しいぶかった。
だけど、疑う必要はまるでなかった。
一心に世話をし、あやす様子をみれば、博史は単に――生まれたばかりの赤ちゃんがただ可愛いくて仕方がないだけなのだ、ということは誰でもわかった。
ひいたん、ひいたんと慈しむ姿は、聡ですら陽の父親は博史だと錯覚しそうになるほどだった。
事実博史は「子供がこんなに可愛いとは思わなかった。可愛くて仕方ない」とよく目を細めた。
そして……やがて口にするのだ。
「陽の兄弟をつくってあげたい」
と。
傍目から見れば……いや、自分でも幸せなのだと思う。
幸せだと自分に言い聞かせるようにしていた。
日本に置いてきた激しい愛情と、不安定な未来。
それに比べれば、これほど穏やかで安定した家庭はないだろう。
まもなく大学の博士課程に正式に入り、研究の日々となった博史は優しく。
すくすく育つ陽はいとおしい。
しかし2年以上経っても……聡は陽の中に、自分を愛した彼の面影を探してしまうのだ。
陽は優しげな顔立ちながら、将にやはり似ていた。
将が安心しきったときの顔。おそらく聡にしか見せなかった顔……。
ときおり、張り裂けそうな心をもてあまして聡は陽をかき抱いた。
「おかあさん、どうしたの?」
そういいながらも、抱きついてくる陽は温かかった。
「陽の兄弟をつくってあげたい」
その言葉通り、博史は聡をごく自然に抱いた。
陽が生まれて半年ほど経った頃だったはずだ。
かつてはこれ以上はないほどの幸せを感じた腕の中で、聡は何かを必死で耐えている自分を感じていた。
やがて博史は……はっきりと自分たちの子供を望むようになった。
博史の行為は毎回優しく、十分に聡のことを考えたものだった。だけど。
……それでも、聡には重荷だった。
行為自体も。そして、それに期待される結果も。
陽を自分の子供のように可愛がってくれる博史には、この上なく感謝しているのに。
この先の人生を一緒に歩いていくパートナーとしては、十分信頼しているのに。
信頼してる?
その言葉に違和感があって聡は我に返る。
自分は……果たして、この人を信頼できるほど知っているのだろうか。
しかし我に返ったところで、聡は……結局、この男を信頼して生きていかなくてはならないのだ。
博史に抱かれながら聡はいつも思う。
――早く終わってほしい。
ただそれだけだ。
いや、それよりも。
てっとりばやく博史の子供を身ごもってしまえば、この儀式は繰り返されない……。
それに、子育ては忙しい。
毎日の子育てに追われれば。
博史への思いについて立ち止まることなく、季節は流れて……いつしか年老いて。
いつのまにか二人は「落ち着いた夫婦」にきっとなっているはずなのだ。
いつしか聡自身も……博史の子供を心からのぞむようになっていた。
だが、子供はなかなかできなかった。