聡は色とりどりの灯りに彩られた通りを、やみくもに走り続けていた。
空気は思ったより冷えていて、それを吸い込む肺がきしむように感じたのも初めのうちで、今は激しく波打つ心臓と一緒に破けてしまうのでは、と思うほど痛い。
走って30秒もしないうちに、ヒールの足が痛んで、これも今は棒のようだ。
それに優雅に舞っているように見えた雪は、走る聡を意外にも阻み、ひらひらと舞い落ちては、走る聡の顔に髪に次々と張り付いて溶けた。
汗と雪どけの水分で、きれいに整えた髪はめちゃくちゃになるが、かまわず走り続ける。
段差にヒールをとられてあわや転びそうになるのを、こらえて足が吊りそうになる。
さっきタクシーで追い越し追い越されつつしていたカップルが見えてきた。傘2つで道幅いっぱいに歩いているのが、今の聡には邪魔だ。よけてくれる時間すら惜しい、待てない。
「すいません」といいながら、肩がぶつかって、身を翻す。
カップルの男のほうが何か叫んでいたがかまわない。
聡は無視して走り続けた。
会場前の時計は18時30分を指していた。
―――やはり来ないのだろうか。
降りしきる、というほどではないが、雪が舞い落ちていく中を、将は立ち尽くしていた。
もう開演時間というのもあり、さっきさんざん通り過ぎた、幸せそうなカップルたちすら通らない。
なんとかして携帯を充電するんだった、と30分ほど前、将は悔やんだ。
でも―――こんな日だから、来るときは遅れてでも来るだろう。
逆に、携帯やメールが通じたなら。
『ごめん。やっぱり行けない』というメッセージを受け取ってしまうかもしれない。
むしろそちらを、将は恐れた。辛抱強く待つことを決めた将の頭の中に、古い歌が流れ始める。
雨は夜更け過ぎに 雪へと変わるだろう
きっと君は来ない ひとりきりのクリスマスイブ……
歌はひとたび流れ始めるとリフレインとなって何度も押し寄せてくる。
―――本当に来ないつもりかよ?
聡は本当に将を見捨ててしまうのだろうか。寒さもあいまって、それが現実になる怖さに将は震えた。
美しい色とりどりのライトアップに繰り返されるクリスマスソングが今の将には虚しい。
宇宙空間にたった一人よりむしろ、賑やかな中、たった一人で取り残されるほうが寂しいというのを将は思い知った。
いっそ最初から、愛を知らなければ、こんな思いをすることもなかっただろう。
聡を愛してしまった将は、一人ぼっちだと思っていた頃より、ずっと寂しくなった。
太陽の温かさを知る幸せは、それを失えば闇の冷たさがさらに突き刺さるということなのだ……。
「……まいったな」
誰にも聞こえないくらいの声でぽつりと呟いて、将は目の焦点をぼかした。
色とりどりの光が万華鏡の中の光景のように崩れて、目の前が単なる二次元になった。
そうしないと涙がこぼれてしまいそうだから。
時計は18時45分になろうとしていた。
将はもう一度雪が降ってくる空を見上げた。ため息が白く立ち上っていく。
この思いも白い蒸気のようにいつか、消えていくんだろうか。
……とうとう将は歩き始めた。
下を向くとよけいに涙がこぼれそうだから、前を向いて、できるだけ何も思わないように意識して歩く。
でもどこへ行けばいいんだろう。これから、どうすればいいのだろう。
―――どうすんだよ、アキラ!
最後に将は聡を心で呼んだ。
その名前を思い浮かべただけで、とうとう堪えられずに将の目から涙がこぼれおちた。
そのとき、将は聡の声を聞いた気がした。まるで心での呼びかけに答えるかのタイミングだった。
「将!」
もう一度、こんどははっきりと聞こえた。
半信半疑で振り返った将の瞳は、確かに捉えた。駆けてくる聡を。
雪と汗でぐしゃぐしゃになったその顔は、将の姿を見つけて、さらに涙が加わった。
将も知らず、聡が来るほうへと走りはじめていた。
聡はよろよろになりながらも最後の力を振り絞って走った。
「アキラ!」
将の呼びかけを合図に、聡はタックルするように将の腕の中に飛び込んだ。
「将……」
力を出し切った聡は、そのまま力尽きるように倒れこんできた。
「ごめんね……遅くなって」
聡はそれだけ言うと、体をかけめぐる激しい血流に、頭の中が真っ白になり何も考えられなくなった。
ただ、腕だけが、将を求めて、将の体にからみつく。
将は聡の全体重を受け止める。まるで体全部が心臓になったような激しい動悸が、聡から伝わっている。全身、湯気がでそうなほどの熱さだ。
責めの言葉も、理由を求める言葉も……愛を告げる言葉ですら出てこない。
将はただ聡を力の限り抱きしめるしかなかった。
そんな二人を色とりどりのライトと舞い落ちる雪が包む。
さっきと変わらない風景は、限りなく美しい情景となって将の目に映った。
「……ずいぶん、インターナショナルな挨拶だな」
将の腕に抱かれた聡は、聞き覚えのある低い声を背後に聞いた。
ゆっくりと振り返る……恐れていた通り、そこには博史が立っていた。