将が目を覚ましたのは夜更けだった。もう井口も大悟も寝静まっている。
フトンをしいた覚えはないのに、きちんとフトンがひいてあるのは勝手を知っている井口がやったのだろう。
飲みすぎたせいか、やたら喉が渇いて唾がねとつく。将は暗闇の中、キッチンへと歩いていって冷蔵庫をあけるとミネラルウォーターをがぶ飲みした。
暖房と加湿器と井口のいびきが規則的な音を立てる中、ソファで点滅するものがあった。
将の携帯だ。
寝ている間にメールの着信があったらしい。開けると聡だった。
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12/27土23:02
電話もしたんだけど、出れないみたいなので、メールしました。
明日28日から萩に帰省します。
東京へは4日の夜帰る予定です。また電話します。聡
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将は、携帯の画面をあけて右手にもったままフトンに転がった。
――わけわかんねーよ。アキラ。人には電話するな、といっといて、自分は電話するって?
結婚しないと決めた男といつまでもズルズル一緒にいるのも、将には理解できなかった。
――単に、早くきっぱりと別れればいいだけなのに、何をぐずぐずしているんだ。
将は優柔不断な聡に腹が立ってきた。だからといって嫌いにはなれない。
だいたい、なかなか逢えないからいけないんだ。
寝付けない将はごろごろと寝返りを打った。
あることを思いついて、ガバ、と起きた。
――いっそ、萩まで行こうか。ミニで。
行ける。
が、イビキで計画は崩れる。
――こいつらをここに二人っきりにさせるわけにもいかねえだろうし。
一緒に連れて行く?いやミニの狭い車内にでっかい男3人乗って1000キロ以上の旅は酷だ。
将はまた横になって寝返りを打った。眠れないと思ったが、いつのまにか意識がなくなっていた。次に気付いたときは陽が高くのぼっていた。
時計を見る。10時すぎ。
ぼーっと起き上がると、大悟だけ起きて、お湯を沸かしていた。井口はあいかわらずイビキをかいて寝ている。
「おはよー。コーヒー淹れるよ」
「ん、ああ」
将は起き上がると伸びをした。そのとたん腹から鈍い音がした。そういえば昨日、早い段階で酔いつぶれて以来、何も口にしていない。
「俺さ、メシ買ってくるよ」
将は部屋を出ると、商店街を歩き、弁当屋をめざした。
天気は上々で、陽射しのあるところを歩けば寒さはそれほどでもなかった。
「ちわー!」
まだ開店したばかりで、カウンターから引っ込んで仕込みの手伝いをしていたおかみさんを呼び出す。
「あら!山田さん!」
おかみさんは笑顔ではなく驚いた顔ですっとんできた。
「ちょっと、ちょっと!」
菜箸を持ったまま、将をカウンターの隅に呼ぶ。
「アンタとアキラちゃんどうなってんの?別れたの?」
「え?」
「いや、昨日ね、アキラちゃんが男の人と一緒に店に来てね……それがずっと付き合ってて結婚するって……。だからあたしも主人もびっくりして。アキラちゃんは山田さんと付き合ってると思ってたから」
「……はァ」
何と答えていいかわからない将は、どんどん力が抜けていくのを感じた。
「自分も、わかんないスよ」
あいまいに笑うしかない将をみておかみさんは、とりあえず将の気持ちだけは察したらしい。
「あんた、アキラちゃんが好きならしっかりしなよ!」
それに相槌を打つように奥から主人が将を強く睨みつけた。
聡は博史に送られて空港にやってきた。
いちおう遠慮はしたのだが、どうしても、というので乗せてもらったのである。
日曜日の今日は、早くも帰省ラッシュが始まっていたようで道路は若干混んでいた。そのせいか空港に着いたときはそれほど余裕はなかった。
聡は手早くチェックインすると、名残惜しそうな博史に別れを告げて搭乗口へと向かった。
まだ、搭乗が始まるまで、少しだけだが時間がありそうだ。搭乗ラウンジに腰掛けると、将に電話を掛ける。
ちょうど将は出来上がった弁当3つを持ってマンションのエントランスに着いたところで携帯が鳴った。
『アキラ』との表示。
「もしもし」
「将?あたし。今空港なの」
「……ふーん」
「4日に帰るから」
「……メールに書いてたよね」
本当は飛び上がるほど嬉しいはずの聡からの電話。おまけに『鷹枝くん』でなく『将』と呼ばれている。なのに、なんでこんなにノリが悪くてむしろ意地悪な答えしかできないんだろう。
「もしかして、寝起きだった?」
そのノリの悪さは聡にも伝わったらしい。気を遣ってくる。
「ううん。寝起きじゃないよ」
「そう……?」
あきらかに不機嫌な将の声に、聡は沈黙してしまう。でも聡は電話を切りたくなかった。
将だって同じだ。だけどこのまま徒に沈黙のまま電波を共有するのにも限界がある。
「アキラさあ」
将は思い切って声にした。
「結婚しないって言ったよね。なのにさ、なんでアイツとずるずる付きあってんの」
気をつけたつもりなのに、かなり腹立ちが声に出てしまった。携帯の向こうで聡が息を飲むのが聞こえる。
「俺、アキラのことが好きだ」
言い訳のように付け加える。セリフに似合わない口調。日本語がわからない人が聞いたら、なにか苦情を申し立てているように聞こえるだろう。
「好きだけど、そういうの理解できないよ。さっさと別れないのは、俺がたよりないから?」
「将……」
聡は何も言えない。博史より将のほうが好きだということが、はっきりとわかってまだ4日だ。
だけど、この4日間、博史のペースに乗せられて、博史の両親に会ってしまった。その両親からことのほか優しくされた……そしてますます別れを言い出しにくくなってしまった。
おまけに博史の母は余命1年だ……。
こんなことを将に説明したところで、どうにもならないだろう。
いずれ聡が決断し、行動しなくては……皆を傷つけなくてはならないのだ。
「将。ごめん。……私、まだ勇気がないの」
優しい人を傷つけてまで将を選ぶ勇気が。
「なんだよ、それ」
それは将には、自分が若すぎて、たよりないから、付き合う勇気が持てないというように聞こえた。
「ようするに、俺じゃダメなんだろ」
「違う。将、聞いて」
「もういいよ。じゃよいお年を」
電話が一方的に切られたのとほぼ同時に、搭乗案内のアナウンスが響いた。
電話を握り締めたまま聡の意識は空港の喧騒の中に蒸発していった。