おまけ続編・2014年のクリスマス(1)

お待たせいたしました。おまけ続編です!
本編は将が主役でしたが、おまけ続編の主役は聡になります。
すべて聡の視点で話が進みます。

 
 

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スマホの画面を眺めて、聡はため息をついた。

今年は暖冬だ、といわれていたパリだけれど、日がすっかり暮れると、こうやってため息が白く立ち上っていく。

2014年12月24日・クリスマスイブのパリ。

すでに、世界一美しいといわれる、シャンゼリゼ通りのイルミネーションが色とりどりにキラキラ輝いているが、今の聡には、心に響かない。

――今夜の宿をどうしよう。

聡の頭を締めているのはこんな現実的な問題だ。

パリ市内のホテル――子供を連れて安心して泊まれるようなクラスのものは――すべて満室と表示されている。

「お母さん、お腹すいた……」

ついに陽が声をあげた。

イルミネーションが灯り始めたさっきまで

「わ~!お母さん、きらきらしてる!見て!建物がプレゼントみたいにリボンついてる!」

と陽はほっぺを真っ赤に高潮させてイルミネーションにはしゃいでいたが、少し疲れてしまったようだ。

だけど。

クリスマスイブのパリで、レストランなんて開いてるんだろうか。

敬虔なクリスチャンの国、フランスでは多くの店がイブには早仕舞いする。

クリスマスは、家族で過ごす神聖な日なのだ。

アメリカに住む聡でもそんな情報は知っている。

 
 

聡はダメ押しにメールをチェックした。

ロマーヌからも、またそのパートナーのヴァンサンからも連絡はない。

難産なんだろうか。

再び吐いた聡のため息は、美しいイルミネーションに照らされて少し色づいた。

 
 

クリスマス、親子2人きりならパリに遊びに来たら?

そんな風に誘ったのはロマーヌだった。

陽のベビーシッターとして聡・博史夫妻の家にやってきた留学生のロマーヌ。

実は将の幼馴染だったこともあり、聡と心を通わせた。

聡が博史の子を妊娠した頃に、フランスへと帰っていったが、それからもメールなどで交流があった。

やがて聡が博史の子を流産、そして離婚にいたったことを知り、クリスマスに親子でいらっしゃいと、パリに誘ってくれたのだ。

 
 

教えてくれたとおりのアパルトマンに聡と陽がついたのがおとついの22日だ。

15区にあるそこは、レンガとモルタルをあわせた日本で言う団地のような建物だ。

ブザーを押すと、古風な「ブー」という音が外にまで響いた。

「アキラ!ヒナタ! ひさしぶり!」

中から出てきた懐かしいロマーヌの青い瞳、そのお腹を見て聡は口を丸くあけた。

ロマーヌのお腹は大きかったからだ。ぱっと見た感じでは、もう臨月である。

「ロマーヌ、そのお腹……」

ロマーヌは笑顔で、奥を示した。

そこには背の高くて金髪を短くした男性が、日本風にぺこりと会釈した。

「彼はヴァンサン。私のパートナーよ」

 
 

ヴァンサンが淹れてくれたお茶をいただきながら、

ロマーヌは、フランスに帰国後すぐにこのヴァンサンと結ばれて、棲み始めたことを教えてくれた。

部屋の内部も日本の団地のような体裁である。

クツも、アメリカと違って玄関で脱ぐようにしているらしい。

結構年季が入っている古い部屋を、彼女のセンスなのかお洒落にしつらえてある。

「彼は腕のいい料理人なのよ。だから、クリスマスは期待していてね」

クリスマスイブには、このヴァンサンが腕をふるうらしい。

聡親子以外にもヴァンサンの妹夫妻もここに来て、家族みんなでクリスマスを祝うというのだ。

「お腹は……、大丈夫なの?」

「予定日は年明けだから、たぶん大丈夫」

料理人の彼と、建築家のロマーヌがなんで知り合ったのか、聡には謎だったが、すでに長年連れ添っているようにとても自然に寄り添っていた。

ヴァンサンはロマーヌの体をとても気遣っているようで、冷蔵庫の水ひとつとるのでも、ロマーヌにさせないようだった。

あまり英語は得意ではないようだが、子供が大好きなようで、陽とも温かい笑顔で接していた。

優しい男性を見つけて、ロマーヌは幸せなんだろう。

温かく目の前の光景を見つめる聡の心が、一瞬だけ、きしんだ。

ここで、思い出したらいけない――。

目の前の幸せに没頭しようと聡はロマーヌに話しかける。

「素敵なお部屋ね。なんとなく日本を思い出すわ」

「ああ、それショウもいってたわ」

ふいに、その名前をきいて、聡の息が止まる。

とたんに、封印しようとしていた感情が、とめどなくなりそうになる。

無防備に驚いてしまったのを、意外な人名を聞いたから、ただそれだけ、とごまかすために

「将が?」

と世界で一番いとおしい名前を舌に乗せる。

名前を声にするのも何年ぶりだろうか。目が熱くなってくるのを瞳を見開いてこらえる。

「そうそう。高校生の頃かしら、何年か前に来たときに、そう話してたわ。

……あ、そうだ。アキラは知らなかったのね。ショウは、小さい頃この家に預けられてたのよ」

なんてこと。

思わず、部屋の中を見回す聡に、今の陽と同じくらいの年の頃だったわ、とロマーヌが付け加える。

隣でヴァンサンが焼いたケーキを食べて

「お母さん、美味しい!」と笑顔で聡を振り返る陽が、将と重なる。

将にそっくりな陽。

幼い将が過ごした、部屋。

聡は胸がいっぱいになった。あたりを取り巻く色が、すべて変わったような気がした。

 
 

昨日、23日は、パリを見物してまわった。

寒い中、子供を連れて歩き回るのは大変だろうと、ロマーヌ自ら古いプジョーを運転してパリをまわってくれた。

ちなみにヴァンサンは、今日は出勤である。

明日のイブは、勤めているレストランも早仕舞いするのでゆっくり家族のために腕をふるえるのだという。

幼い頃の将がいた町、というだけで、初めて訪れる街なのに聡は懐かしいような感情でせつなくなった。

目に映る光景の中に小さな将を探してしまう。

昨日は、ロマーヌのアパルトマンに泊めてもらった。

というより、滞在中はずっと泊めてもらうことになっていたが、聡は将の思い出に、どっぷりと浸かることになった。

……本当は、そんな予想は最初からしていた。

聡は、陽と一緒にダブルベッドに横たわりながら、スマホを手にする。

Facebookをあける。

ボストンからフランスへ帰国する際に、ロマーヌから「アキラもやりなさいよ」と誘われたから聡もアカウントを持っている。

とはいえ、アカウントの公開はしておらず、

「友達」はロマーヌを含めてボストンの知り合いなど、二桁をわずかに超えたに留まる。

聡は……数少ない「友達」のロマーヌのプロフィールをタップする。

そこにはロマーヌの数多くの「友達」が羅列されている。

聡は、スムーズにロマーヌの友達をスクロールする。

その動作は、もう何度も……離婚以来、日課のようにしているからスムーズだ。

「Sho Takaeda」

その名前を見つけて、聡は小さくため息をつく。

ロマーヌを通じて、SNS上にある、将とのつながり。

聡がロマーヌの誘いに乗ってパリにやってきたのは、そのせいではなかったか。

聡は、ロマーヌの部屋に、パリの街角に、幼い将を想像した。

 
 

なお、クリスマスイブを明日に控えてのパリは、ふだんよりいっそう華やかなのだという。

エッフェル塔に、オペラ座、ノートルダム寺院。

車窓に映る観光名所を、そしてパリの人のクリスマスの過ごし方をロマーヌは英語で解説してくれる。

「クリスマスイブはね、家族でお祝いの夕食をとったあと、夜中にミサに出かける人が多いわね」

初詣みたいなものか、と聡は見当をつける。

「ノートルダム寺院のは特にすごいのよ。 25日になったとたんに、赤ちゃんの人形が祭壇から手品のように現れるのよ。見物人の数もものすごいけどね」

「へ~!赤ちゃん!」

陽も英語でロマーヌとやりとりしている。

きけば、幼い将は、フランス語を自由に操っていたという。

フランス人の幼稚園園長に『この子の知能はずば抜けている』と太鼓判を押されたという康三の話を思い出す。

「そうそう。たしか、動画があったかしら? おうちに帰ったらパソコンを調べてみましょう。

でもね、うちの近所の教会のミサもなかなかよ。アットホームでね。

それに大きなモミの木のイルミネーションがとってもきれいなの。明日は夕食が終わったらみんなで行きましょうね」

昨日、そんなことをいっていたロマーヌだが、その夕食は、もう無理だろう……。

聡は、何度めかのため息をついた。

今日24日は、明日のボストンへの帰国に備えて、昼過ぎから陽を連れて買い物にきていた。

「びっくりさせたいから、ショッピングにでも出かけてて」

とロマーヌにうながされたからというのもある。

親子二人、買いたいものはあらかた買った夕暮れ、何か買ってくるものはないか訊いておこうと、ロマーヌに電話をかけたそのときだ。

「○%▲□×&~!」

電話に出たのは、ヴァンサンだった。

ひどく慌てている。あまり上手じゃない英語なのが、慌てているためさらに聞き取りづらい。

聡はスマホを耳に押し付けるようにした。

分かる部分をかき集めてわかったのは、どうやら、ロマーヌが急に産気づいたらしいことだった。

しきりに「デゾレ、デゾレ(ごめんなさい)」と繰り返すところを見ると、今夜のクリスマスパーティは無理だ、ということだろう。

ヴァンサンはすでに病院に詰めているらしい。

これは、ディナーどころか、ロマーヌの家に帰れなくなったと聡は判断した。

親子二人、泊まる準備もないまま、暮れ行くパリの空の下、放り出されてしまったのだ……。

 
 

「陽、ごめんね」

「ううん。ひなた、マック大好きだから大丈夫」

親子はとりあえず、マクドナルドに落ち着いていた。

クリスマスイブの夜、めぼしいレストランは早仕舞いしている。世界中どこでも同じフォーマットのマクドナルドは、クリスマスイブでも、律儀に開いている。

店の中は全世界共通で、パリらしさには欠けるが、窓の外には、パリの美しいイルミネーションが繰り広げられている。

さっきまで疲れた様子だった陽も、楽しげにそれらに時々視線をうつしながら、ハンバーガーとポテトをぱくついていた。

陽のほっぺについたソースを拭いてやりながら、聡の頭を占めているのは今夜どうするか、についてである。

なにせ、着替えその他はすべてロマーヌの家に置いたままだ。

それでも聡一人なら、多少汚いところでも我慢すれば済むだろう。

だけど陽をつれている聡は、得体の知れないところに泊まるのには気が引けた。

聡は再びスマホを取り出した。

 
 

結局、小一時間かけてようやく見つけたのは、シャルル・ド・ゴール空港近くのホテルだった。

少し遠いが、仕方がない。

どうせ、明日の午後にはボストンへと帰るのだ。聡は

「じゃ陽、行こうか」

と陽を促した。陽はとっくの昔にハンバーガーとポテトを食べ終わってしまい、今は静かに絵本を読んでいたのだが、聡の声にパッと顔を輝かせた。

「うん!『みさ』に行こう!」

と元気に立ち上がった。

「ミサ?」

「うん。ろまーぬが言ってたでしょ。クリスマスイブには『みさ』に行くんだって。早く行こうよ」

赤いほっぺの陽は、聡をうながした。

そんないたずらっぽい顔に、将の面影を見てしまった聡は、将とのクリスマスを思い出した。

まだ陽がお腹の中にいた、雪の中のクリスマス。

あのときも、近くの教会にミサを見物に行こうとしていた……。

思い出が頭の中ではじけて、聡はすこしぼんやりしていたらしい。

「お母さん、どうしたの? 早く行こう。大きなモミの木ツリー見たいよ」

そういえば、ロマーヌが言っていた、アパルトマン近所の教会のミサ。

本当は、寒い中歩き回ったから一刻も早くホテルに落ち着きたい気もしていた。

だけど。

――幼い頃の将も、そのミサに行ったのだろうか。

そんな思いつきが聡の感情を支配する。

それに、もしできるならロマーヌの家から旅の荷物を引き上げたい。

ミサ見物に行ってる間に、ロマーヌの子供が無事に生まれれば、それが可能になるかもしれない。

聡はもう一度、ヴァンサンに電話をかけてみたが、留守電になっている。おそらく出産に立ち会っているのだろう。

「じゃあ、陽、いってみようか」

「うん」

聡は、陽の手をとった。ミトンごしの小さな手は温かかった。

 
 

その教会の名前は聞いていなかったが、聡はスマホに表示されるロマーヌのアパルトマン付近のマップを見て、見当をつけていた。

ただ、本当に地元の小さな教会らしく、画像などのデータは表示されない。

それに、イブの夜はバスの本数も少なくて、ロマーヌの家の近くに来るのに少し時間がかかった。

バスを降りると一層冷え込んでいた。

あたりはすっかり夜になっていた。パリの目抜き通りからやってくると住宅街は真っ暗に感じられる。

吐く息がさっきよりいっそう白い。

しかし、家族連れらしきグループがぽつぽつ同じ方向に歩いていたから、彼らについていけば、目当ての教会に着けそうだ。

「わあ!きれい!」

陽は突然叫ぶと、走り出した。

そこは小さな公園だった。ライトアップされた噴水が金色に輝き、動物をかたどった遊具はイルミネーションで彩られていた。

あたりは暗いのに、その公園だけが夢のように明るく輝いているようだった。

噴水の傍には3階建てくらいの高さはあるであろう、大きなモミの木があり、その木全体がキラキラときらめくLEDとオーナメントで飾られていた。

遊具ではミサ待ちの子供たちだろうか、陽と同じくらいの年頃の何人かが歓声をあげて遊んでいた。

陽はものおじせず、駆けていった。

どうなるかと、見ていたが、言葉の壁はあまり気にならないらしい。すぐに仲良く遊び始めた。

教会は公園の向こうにあるのだろう、すでに美しい歌声が流れてきている。

――この賛美歌。

陽を見守っていた聡は、知っている歌に思わず振り返った。

木々の間から教会の尖塔がのぞいていた。

――ああ、あのとき……。

あの雪の中の、ミサを見ようとした教会もこんな感じの尖塔だった……。

聡は、クリスマスツリーになったもみの木を見上げた。

モミの木の先端の上に広がる晴れた夜空からは、雪ではなく星が降ってきそうだった。

そこへ自分が吐いた白い息が溶けていく。

あの日は……大雪が降ってもっと寒かった。将と二人、深い雪に足跡をつけながら、教会の裏庭に回り、ブランコに座りこの歌を聞いた。

そして、はじめて胎動した陽に二人で歓喜の声をあげた。

賛美歌は、かけがえのない思い出を、封じ込めていたあの日々を次々と呼び起こした。

それは目の前のLEDよりも、ツリーのデコレーションよりも鮮やかに聡の心を彩っていった。

思い出の鮮やかさが沁みて、目のまえでキラキラ輝く光は、いつしかゆらゆら滲んで揺れている。

そんな聡は、いつのまにか長い影が、こちらへ伸びていることに気づいていない。

「……アキラ」